ヨセフ、奴隷から宮廷の責任者にある

 (B.C.18世紀、創世記37~50)

 37(https://www.bible.com/ja/bible/81/GEN.37.ja1955#!)

 1ヤコブは父の寄留の地、すなわちカナンの地に住んだ。 2ヤコブの子孫は次のとお

りである。ヨセフは十七歳の時、兄弟たちと共に羊の群れを飼っていた。彼はまだ子供で、父の妻たちビルハとジルパとの子らと共にいたが、ヨセフは彼らの悪いうわさを父に告げた。 3ヨセフは年寄り子であったから、イスラエルは他のどの子よりも彼を愛して、彼のために長そでの着物をつくった。 4兄弟たちは父がどの兄弟よりも彼を愛するのを見て、彼を憎み、穏やかに彼に語ることができなかった。 5ある時、ヨセフは夢を見て、それを兄弟たちに話したので、彼らは、ますます彼を憎んだ。 6ヨセフは彼らに言った、「どうぞわたしが見た夢を聞いてください。 7わたしたちが畑の中で束を結わえていたとき、わたしの束が起きて立つと、あなたがたの束がまわりにきて、わたしの束を拝みました」。 8すると兄弟たちは彼に向かって、「あなたはほんとうにわたしたちの王になるのか。あなたは実際わたしたちを治めるのか」と言って、彼の夢とその言葉のゆえにますます彼を憎んだ。 9ヨセフはまた一つの夢を見て、それを兄弟たちに語って言った、「わたしはまた夢を見ました。日と月と十一の星とがわたしを拝みました」。 10彼はこれを父と兄弟たちに語ったので、父は彼をとがめて言った、「あなたが見たその夢はどういうのか。ほんとうにわたしとあなたの母と、兄弟たちとが行って地に伏し、あなたを拝むのか」。 11兄弟たちは彼をねたんだ。しかし父はこの言葉を心にとめた。 12さて兄弟たちがシケムに行って、父の羊の群れを飼っていたとき、 13イスラエルはヨセフに言った、「あなたの兄弟たちはシケムで羊を飼っているではないか。さあ、あなたを彼らの所へつかわそう」。ヨセフは父に言った、「はい、行きます」。 14父は彼に言った、「どうか、行って、あなたの兄弟たちは無事であるか、また群れは無事であるか見てきて、わたしに知らせてください」。父が彼をヘブロンの谷からつかわしたので、彼はシケムに行った。 15ひとりの人が彼に会い、彼が野をさまよっていたので、その人は彼に尋ねて言った、「あなたは何を捜しているのですか」。 16彼は言った、「兄弟たちを捜しているのです。彼らが、どこで羊を飼っているのか、どうぞわたしに知らせてください」。 17その人は言った、「彼らはここを去りました。彼らが『ドタンへ行こう』と言うのをわたしは聞きました」。そこでヨセフは兄弟たちのあとを追って行って、ドタンで彼らに会った。 18ヨセフが彼らに近づかないうちに、彼らははるかにヨセフを見て、これを殺そうと計り、 19互に言った、「あの夢見る者がやって来る。 20さあ、彼を殺して穴に投げ入れ、悪い獣が彼を食ったと言おう。そして彼の夢がどうなるか見よう」。 21ルベンはこれを聞いて、ヨセフを彼らの手から救い出そうとして言った、「われわれは彼の命を取ってはならない」。 22ルベンはまた彼らに言った、「血を流してはいけない。彼を荒野のこの穴に投げ入れよう。彼に手をくだしてはならない」。これはヨセフを彼らの手から救いだして父に返すためであった。 23さて、ヨセフが兄弟たちのもとへ行くと、彼らはヨセフの着物、彼が着ていた長そでの着物をはぎとり、 24彼を捕えて穴に投げ入れた。その穴はからで、その中に水はなかった。 25こうして彼らはすわってパンを食べた。時に彼らが目をあげて見ると、イシマエルびとの隊商が、らくだに香料と、乳香と、もつやくとを負わせてエジプトへ下り行こうとギレアデからやってきた。 26そこでユダは兄弟たちに言った、「われわれが弟を殺し、その血を隠して何の益があろう。 27さあ、われわれは彼をイシマエルびとに売ろう。彼はわれわれの兄弟、われわれの肉身だから、彼に手を下してはならない」。兄弟たちはこれを聞き入れた。 28時にミデアンびとの商人たちが通りかかったので、彼らはヨセフを穴から引き上げ、銀二十シケルでヨセフをイシマエルびとに売った。彼らはヨセフをエジプトへ連れて行った。 29さてルベンは穴に帰って見たが、ヨセフが穴の中にいなかったので、彼は衣服を裂き、 30兄弟たちのもとに帰って言った、「あの子はいない。ああ、わたしはどこへ行くことができよう」。 31彼らはヨセフの着物を取り、雄やぎを殺して、着物をその血に浸し、 32その長そでの着物を父に持ち帰って言った、「わたしたちはこれを見つけましたが、これはあなたの子の着物か、どうか見さだめてください」。 33父はこれを見さだめて言った、「わが子の着物だ。悪い獣が彼を食ったのだ。確かにヨセフはかみ裂かれたのだ」。 34そこでヤコブは衣服を裂き、荒布を腰にまとって、長い間その子のために嘆いた。 35子らと娘らとは皆立って彼を慰めようとしたが、彼は慰められるのを拒んで言った、「いや、わたしは嘆きながら陰府に下って、わが子のもとへ行こう」。こうして父は彼のために泣いた。 36さて、かのミデアンびとらはエジプトでパロの役人、侍衛長ポテパルにヨセフを売った。

 

創世記作の年代

 創世記3728で、“ミディアン人がイシュマエル人にヨセフを売った”と書いてあるのに、3736では“メダンの人たちがエジプトへ売ったヨセフ”と書いてあるが、よくわからない所だった。'96年)

  

創世紀を読むと、繰り返しや矛盾している所がたくさんある。例えば、37223726-27も合

 

わない。どうしてだろうか。それは、この書物が一人の作家の作品ではないからである。イスラエ

 

ルの祖先の偉業は代々いろいろな伝承として伝わった。ヨセフの物語は主に2つの伝承に基づいて

 

いる。

 

ヤーヴェ()伝承は、エルサレムを中心としているユダの地方ででき、ヨセフのずるい面、兄たちのスパイ扱いなどを強調する。

 

エロッヒム()伝承は、イスラエルの北、すなわちベニヤミンの子孫の領土で形成され、ヨセフの知恵と威厳、兄たちの悪行への赦しなどを誉める。

 

紀元前8世紀以降、人々はこれらをいくつかの相違を残して一つの書物にまとめた

 

「兄たちは、父がどの兄弟よりもヨセフをかわいがるのを見て、ヨセフを憎んだ。」(37・4)

   ヤコブが最も愛していたラケルの子ヨセフを優先したので、他の女から生まれた兄たちは彼を嫌った。

 

 

 兄弟達はヨセフと同じくらいの愛情を注いでもらえないということから、ヨセフに対して“ヤキモチ”を持つのは当たり前だと思います。('01年)

 

兄達のように人を憎んでばかりいっては、自分も、周りにいる人々もだれも幸せになれないんじゃないかと思いました。人に優れた部分をさがし、それを大切にしていくことが大切だと思います。(A

 

  他の兄弟の方が両親に大切にされていると感じる時、言葉にならない悔しさで胸が張裂けそうになる。まるで人間として認められていないような気さえしてくる。(A

 

子は全て、平等に思うものだと私は思います。けれど、ヨセフの兄弟もヨセフをねたむ気持ちを抑えるべきだったと思います。(C

 

 ヨセフの兄たちは父が誰よりもヨセフをかわいがっているのを見てどうして“憎い”という感情が表れたのか。兄たちはヨセフをかわいがっている父の姿を見た時“憎い”という感情を持つのではなくて、“兄”として弟を思いやる心と、もう一歩成長した考え方を持てばまた全然違うと思う。('01年)

 

 「ぼくの束が、いきなりすっくと立ち上がった。それから兄たちの束が回りに集まって来て、ぼくの束におじぎをするんだ。」(377)

 

なぜ、ヨセフはわざわざ夢の内容を兄弟に言ったのだろう。(‘01年)

 主に三つの動機が考えられる。

 

1. 高慢

 


      ヨセフが夢を見ていた当時、自己中心的でヨセフ自身も自分のことしか頭にはない。(C

 

ヨセフが変な夢を見たのは、親がヨセフの事を他の兄弟たちよりはるかにかわいがっていたからだと思う。ヨセフは悪者とは思わないが、それなりにヨセフ自身は優越感みたいなものを持ってしまっていたんじゃないのかな!って思う。('03年)

 

ヨセフは初め、自分の見た夢を兄弟や父に自慢して兄弟達に反感をもちました。(C)思いやる心がないと思いました。(D)

 

 

2.単純

 

 

  ヨセフが見る夢は、何が悪い事なんでしょう?たかが、夢なのに気にすることもないのにな   あ~と思いましたD

 

  末っ子ヨセフはただ自分が夢で見たことをお兄さんたちに素直に伝えただけだと思います。夢は自分の奥の考えなどが出ているのかもしれないけど、本当にお兄さんたちを支配したいならそんなことをお兄さんたちに言わなかったと思います('97)

 

 

3.正直

 

 

     私が思うに、ヨセフは人に、どんなに憎まれぐちを言われても、自分の夢に対する意見を   しっかりと述べていて、大変すごい人だろうなぁ('03)末の子なのに勇気があるなぁと思い

  ました。(B

 

ヨセフは自分の見た夢を正直に語ったり、自分のすべき事、立場を常に考え、家族に捨てられても、しまいには家族を助けました。(B

 

ヨセフが自分の夢のことを言ったのは、兄弟たちを見下しているのではなくて、神のお告げなので、家族に忠告しているんだと思いました。('01年)

 

結論

 1.   夢は、神の“声”か、それとも無意識の声か

 

 

いつか人の上に立てるようにと思っているうちに、夢にまで見るようになってしまったのだろう。('03年)

 

  神は夢を通して、その人に合った一番良い道を教えて下さると言うことではないかと私は考えます。('01年)

 

 自分がえらくなったような夢ばっかり見ていたことは、ヨセフがどこか、心の中で、一番上に立ちたいって思っているのかなぁて私は思いました。('03年)

 

  ヨセフの見た夢とは一体何なのか?自分の願望や欲望?それとも運命?主が送った夢?それはヨセフにも分からないと思う。いずれにせよ、その夢の通りになったということは神の御言葉だったのだろう。未来は決まっているわけではないが、決めるのは神と自分自身。そうなったのもお互いが望んだからである。('98年)

 

 無意識の声と言われる夢は神の声になり得ると思う。

 

2.   人の話を、先入観を持って聞くな

私は初めてこのお話を読んた時になぜ束が起き上がりひれ伏したのか分かりませんでした。(B

 

私は兄弟たちが思っているほど、彼はえらくなりたかったわけではないと思います。('03年)

 

ヨセフは束の夢の話をして(377)王になることや自分が兄たちの上に立つことを言ってはいない。以前から彼を嫌がっている兄たちはこの結論を勝手に引き出しているだけだ。

 

.“ここのところで、私は人に言っていい事と悪い事の区別をつける事を知りました”('89)

 ヨセフは家族の気持ちをよく考えずに、この夢を口に出しているので、気が利かない人だなとおもいました。(C

 

こういう例は今でもあると思う。たとえば私に何か嬉しかったことがあるとする。それを友達に話した。友達はそのことに対して自慢っぽく感じ嫌な気分になってしまう。何気なく言ったことがその人を傷つけてしまうのと似ていると私は思った。('98)

 

  ヨセフは兄たちにただ理解できなかった夢を語ったと思うが、彼はこのような言葉が誤解を招くと気づく必要があった。

 

「兄たちはヨセフをますます憎んだ」(37・8)

 もし、憎んでいなければ、ヨセフの夢の話を聞いても、もっと憎んだりはせず、父と同じように、ヨセフの夢のことを心に留めていたと思います。('03年)

 

著者は、自分には信じられないような話をしている人、話に対し、最初から疑いの心をもって接するのではなく、耳を傾け続け、理解できる範囲で、理解できるよう努力をしなさいということを私達に伝えたかったのではないかと思いました。(A

 

ヨセフの見た夢はとてもユーモアにあふれているのに、何故、彼の兄たちは彼を憎く思うのでしょうか。ヨセフがかわいそうだと思います。夢の内容まで悪くとらえられるのは、兄たちが狭い心だからではないかと思います。('03年)

 

  この文章を読んでいくうちに、“放蕩(ほうとう)息子”(ルカ1511-32p.139)のたとえとの共通点をみつけました。“放蕩息子”の兄は父の愛を理解せず、そして弟と比べたところが罪でした。このヨセフの兄達も同じだと思いました。聖書がこれらのことから言いたいのは“人と比べてはいけない”ということのように思えました。('96年)

 

 「兄たちはヨセフを殺そうとたくらんだ。」 (3718)

私はこの話を読んでとても悲しい気持ちになった。しかし、今現在、毎日のようにニュースで報道される内容を聞くと、人間だからこそ、誰かをにくみ、殺そうとするのだと、改めて人間のおろかさを実感させられる。(C

 

これを読み上げて、一番胸の中によみがえった記憶は2・3年前くらいの、幼い4歳児が弟でまだ1歳にもなるかどうかくらいの小さな赤ちゃんを殺害した事件の事でした。その事件は、ただ4歳の子が、家族、近所の人、みんなが今まで自分だけ見ていてくれたのに、弟が生まれ、全てその目が弟に向けられて、寂しくなり、そして弟を憎んだ結果、事件につながったということでした。

 

聖書を読んで、新たに私が感じていることは、人間には愚かな所もあって、「生まれながらに人を憎む感情がどんな人間にも宿っている。」ということです。('95

 

『命まで取るのはよそう。』(3721)

 

 一人ヨセフを助けようとしたルベンは他の兄たちに「やめよ」とははっきり言えず「穴に投げ入れよう」としか言えなかったが、多くの兄たちに向かって、自分の意見を切り出せるのはすごい。('01年)

 

 昔の話ですが、クラスできらわれている子がいてみんなが無視した、ようするにいじめられていました。私はその子がきらいではありませんでした。しかし、もしその子を助けたりしたら今度は私もいじめられるという不安な気があって、助けてあげたいと思った時も、見て見ぬ振りをしていました。その時は、自分が(なさ)けなくて(くや)しかったです。しかし、ルベンにはヨセフを助ける勇気がありました。('95年)

 

『弟に手をかけるのはよそう。あれだって、肉親の弟だから。』(37・27)

ユダの言ったことを私は変に感じた。「肉親だから殺すのはやめる」というのは、他人は殺してもいいように聞こえる。('95年)

 

「主がヨセフと共におられたので、彼はうまく事を運んだ。」

 私たちがどんなに自分の心の中に気づかなくても道をはずしても神様がいつでも助けてくれているのをひしひしと感じました。そして、私はこの先どんなことがあっても、神様が見守ってくれているのが分かっているので、安心して生きていけそうな気がしました。('03年)

 

幾つかの試練を与えられても主が共におられたヨセフは救われた、とある。ヨセフだけでなく、神様は平等に愛される方なので、ヨセフを殺そうと考えていた兄たちをもきっと... 。しかし、彼らはそれに気づかなかっただけであったと思う。'94年)

 

主は共におられたが、でもヨセフはいいことばかりあったわけではなく、いやなこともあった。('01年)

 

ヨセフのすばらしい一生は、成り行きでそうなったのではなく、彼自身がその様に導いたのではないでしょうか。('00年)

 

 私はヨセフの神を信じる力がそうさせたのだと思う。そして、彼の努力が彼をエジプトの救い主とさせたのかもしれない。('00

 

  神が常に人間に命と共に愛する力を与えているのに、人は自分の力だけで何かを出来るといえるだろか。

 

「ヨセフは彼女の傍らに寝る事をしなかった」(39・10)

 

  何をされても、何をいわれても、自分の考えを曲げないというのはすごいと思ったし、もしもこ

れで友情とかがこわれたとしても、他へ流されないというのも必要だと思った。('98年)

 

 『彼がわたしと寝ようとした』

 

 どうしてヨセフは無実を訴えなかったのか。

  ヨセフはポティファルの妻の為に自分が犠牲になる事を選んだのかと思う。(01)

 

ヨセフは自分が無実を訴えたらポティファルの妻が罪を負うことになるから訴えなかったのだろうか。そうでしたらヨセフは神のような人かもしれない。('00)

 

『神がこの夢を通してこれからなさろうとしている事を

ファラオにお告げになった。』(41・28)

 

 
 

 

  例え、ふだんの生活の中で何かつまらない事や、いやな事などの喜怒哀楽にはどんな小さなこ  とでも意味をなさないものは何もない、つまり全てにおいて意味のないことは一つもないんだ  ということを今回教えられた様な気がします。('00年)

 

 神様のいった意味を理解するのは特別な人しか伝わらないものなんだと思っていましたが、ふと私はちゃんとうけとめて、言いたいことを聞こうとしていないから分からないんじゃないのかなと思い始めました。('00年)

 

ヨセフの夢を解く能力は最終的に神からくるが、彼は17才の時の失敗から学んで夢の意味に敏感になったと思う。

 

ヨセフは夢を説き明かすのはヨセフ自身ではなく神がヨセフに告げると言っているけど(4116)、私は説き明かすのは自分自身だと思う。('00年)

 

  説き明かすことができるのは神なのかヨセフなのかという問題はないと思う。私たちの、ものを理解する能力も私たちの命さえも神から与えられたものである。つまり、私たちは各瞬間に生かされていて私たちの行動や考える能力は私たち自身のものであると同時に神のものでもある。私たちは神を自分から離れた方として想像するから問題となっているのではないだろうか。

 

『お前をわが宮廷の責任者とする』(41・40)

  私はこの文から、身分はまったく関係なく、能力や心があれば、位の高い人からも信頼されるということが分かった。('03年)

 

ネルソン・マンデラ氏の苦難の道はヨセフのそれと似ている。黒人の市民権のために戦った彼は27年間拘留されていたが、95年に南アフリカ大統領になった

 

ヨセフは泣いて言った。『私がヨセフです』(45・3)

 

 

   ヨセフは、兄たちを見て声をあげて泣きました。いくら我慢していても、何年も会っていな  い兄弟に会って嬉しくないはずはありません。一番会いたい、愛すべき存在は、やはり家族な  んだなと思いました。(A

 

ヨセフがすぐに正体()を明かさなかったのは、兄弟達からすれば公平ではないのではないかと思いますが、それはヨセフが兄弟達の本音を聞きたかったからかもしれません。('00年)

 

『どうか、もっと近寄ってください』(45・4)

 

 

 ヨセフのような広い思いやりの心を持たなければいけないと思いました。現に、今アメリカ人のイラク人に対する態度、言動が騒ぎになっています。まだ、思いやりの心を持っている人がいる内に誤まった事をしている人たちを止めてあげなくてはなりません。(A

 

ヨセフは自分の苦しみを「神様から」与えられたものだと思い、すべてを受け入れていたのだと思います。神様との強いつながりがあってこそ許しができたのだと私は思いました。('02年)

 

神に変わることができましょうか。」というところはきっと人を裁くのは神であり、自分が手を出すことではない。兄達は(ゆる)されたのだ。と納得し、兄弟が自分を売ってしまうことも神の御心であり、それがあったおかげで今日の自分が存在し、民を救うことができたと思ったのではないでしょうか。(A

 

  その広い心はどこからくるのでしょうか。私は、ヨセフはきっと自分を売った兄弟たちも、神様に愛されている存在だと考え、その神様から愛されている者を愛するということは同時に神様を愛することだと考えていたのだと思います。('96

 

  この物語はヨセフの赦す力や寛大さを見せるが、ポイントは別の所にある。これは自分に起こったことに関するヨセフの見方である。

 

「私をここへ遣わしたのは、あなたたちではなく、神です 。」

 兄たちはヨセフを見捨てて憎しみを満たす事しか考えなかったが、結果的にこれはヨセフの成功のきっかけになった。ヨセフはそこで神の導きを見ることができた。

 

私もこの学校にいることや、このクラスにいること、クラスの仲間と出会えたことは、大きな神の力だったのだと分かりました。そう考えると、この時、一瞬一瞬に大きな神の力が働いていることが感じられるような気がします。('00年)

 

ここでの考え方には、自分という人間を使って神様が何かをするということが根源になっているのだと思います。そして、ヨセフと兄弟たちを再会させたのも神様の力だと言えるし、ヨセフが自ら大いなる救いになれたことも、全てが神様の力だと思いました。('95年)

 

  神がいるからこそ私たちは生きているんだと思います。'96年)

 

「命を救うために、神が私をあなたたちより先にお遣わしになったのです。」(45・5)

 とても嫌な事・つらい事があっても「いやだ。いやだ。」と思ってやっていたってうまくいくわけがないと思います。考え方を変えて、前向きに生きれば、良い方に変わるかもしれない。(A

 

これは、私たち日常生活の中にもある。それは、嫌なことがあっても、後になって、それがあったからこそ気づいた事もあったし、結果的には自分自身を向上させるような時だ。最期によかったなと思えるのならその人生は幸せだ。(B)

 

神は人々を助ける為に選んだ者を通して私たちにいろいろして下さるんだと思いました。それは、例えば飢饉(ききん)をなくすのではなく、飢饉という自然の出来事にどう対処していくのかを教え導いて下さり、自然に逆らわないというのが私は強く心に残りました。('95年)

 

『あなたがたは私に悪をたくらんだが、神はこれを善に変えたのです。』(50・20)

 普段自分に悪いことや苦しいこと、つらいことがふりかかったとき受け入れることが出来ずに逃避しがちになってしまうが、こんな風に良い方向に考え、自分にふりかかった試練に対して受け入れ、立ち向かうことが出来るといいなあと思った。('03年)

 

どんなに苦しい思いをしてもそれがいつか自分の力になると信じることはすばらしいことだと思いました。自分自身を大切に思うのなら、どんなことでも自分の身におこった物事を受け入れ、それを良い方向に生かそうとする心を持つことなんだということを、この話から学んだような気がします。('03年)

 

人生、思いどおりに行かないことの方が多いと思います。そんな時、ヨセフのように、そこに神様の意志のようなものを感じとって前向きに生きていくことが大切なのだということをこの文は伝えたかったのだと思います。(A

 

 どんないやなこと、どんなに(おし)んでいる人がいても、それは神様が私達にそれを乗り越える力をくれるのだと思います。それによって自分が成長できた大切な出来事になるはずです。今、私達は、毎日の勉強や、人間関係で心を痛め、頭を痛めて、悩んでいて、時には惜んだりもしてしまいます。だけど、それは全部生きて行く中で必要なことを神様が私たちに教えるためだと思います。('01年)

 

  悪が善に変えられたということは今現在、とても深刻な事件を解決する力をもっていると思いました。その事件とはいじめです。いじめられていた人は、ほかのいじめられている人たちを助けられると思いました。('96年)

 

  全ての試練が成功の元だと気づくのは、後になってからではないだろうか。その時までヨセフは神を信頼しながらつらいことに耐えられた。

 

何が幸か、何が不幸か?

  悪と善という、全く異なった2つの存在だけれども、両方とも目で見ることができないもの、ヨセフのように物事を掘り下げてみれたなら、2つをつないでいる道のようなものを見つけられるのかもしれない。(E

 

ヨセフは私と大きな違いなどない、ただの人です。でも私と違う所は、自分の身に災いが起こってもそれを災いと思わなかった所です。ヨセフは神さまを絶対に信じていたから、不満などは言われなかったのだと思います。('03年)

 

世の中には、良い行いをしていても悪い行いをしていても、つらい事はやってくる。が、そのつらいことを神から与えられた使命と受けとめ、成しとげる事ができれば、きっとその人自身も大きく向上するのだろう。('96年)

 

幸福()(仲野尅子(こくし)

 

 

ココに居る人は 皆仕合()わせな人ばかりです

子の無い人は      子の無い事が幸せ

   子の()る人は      子の有る事が幸せ

街に住む人は      街に住む事が幸せ

山に住む人は    山に()む事が幸せ

()める人は        病める事が幸せ

()なき人は        病なき事が幸せ

就職者は         就職せる事が幸せ

失業者は         失業せる苦労が幸せ

結婚した人は      結婚が幸せ

結婚せぬ人は    結婚せぬ事が幸せ

お金は有ってよし   無くてよし

男は男でよし      女は女でよし

盲目でよし        目開()でよし

ほめられてよし    そしられてよし

生きてよし      死んでよし

いつでも   ドコでも  何でもよし

()し良し()しと   全一生を

よしとして      行けるのが

信心()   大生活   大幸福です…

 

 

物事を悪くとらず良い方にとれば楽しく暮らせる。'94年)

 

 

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