預言者、虐げられれた者の保護者
預言者の活動、紀元前940-540年
イエスを理解するために預言者の生涯を知ることは重大である。なぜなら、イエスは自分を預言
者と呼んだし、彼らと同じような使命を果たした。即ち同郷人のよしみよりも、自分の力を最も
必要としている人を付けに行った。(ルカ4・16-30)。
旧約聖書の中で安息日や清めに関する数えきれない規則が細かく説明してあるが、預言者は、こ
のような宗教的な規則よりも隣人愛や正義を守る人こそが神の心に適うものだと強調した。
預言者の言葉も聖書に載っているので、昔のユダヤ教の人たちは聖書を“律法と預言者”と呼んだ。
預言者(モーセ、サムエル、イザヤなど)は、ユダヤ人たちが権力者によって虐げらげられた
時、立ち上がって、イスラエルの市民を大いに助けた。
1.預言者は“予言者”とは違う
一般に言う予言者とは、普通の人間には分からない、未来に起こる出来事を前もって言い当てこ
れが運命的に起こると告げる物であるが、聖書の中に出て来る預言者は、前もって、暗くて避け
られない運命を告げるのではなく、時の動きを見ぬく鋭い観察力を持って、その時代の問題点を
正しく把握し、不公平な所を直す方法も知った上で不正を指摘する人物であった(イザヤ1・15b-
20)。しかし、不正を行う人の誤りを指摘するのに大きな勇気が必要である。最初の段階でその
訴える勇気が無かった。
2.最初は、預言者に勇気が足りなかった
預言者たちはに世襲的、あるいは職業的に預言者となったのではなく、職業や出身地もばらば
らであった。彼らは、イスラエル王国の分裂や国民が流罪に会った時、神の使命を受けて、民衆
の中から立ち上がって活動した。彼らは人々に何が必要なのかは分かっていたが、これを堂々と
言うことができないと最初は思っていた。
(出エジプト3・9-12;4・10-16、“言語障害”。エレミヤ1・4-10、“若すぎる”。イザヤ6・1-8、“清く
ない”)。
“神は言われる”とはどういう意味?
この表現はよく旧約聖書の中に出てくる(出エジプト4・11など)。
本当に神は語っているのでしょうか。はっきりした言葉を聞いた人がいるかもしれないが、例え
そんな事が起こらなくても、神の呼びかけに答えていると主張するある者は心の中や出来事や体
験、あるいは人々を通して神の願っている事が分かるようになる。
神はいろいろな手段を通して私たちに語っている。私たちが預言者のように忠実に生きれば、
人々は私たちの言葉にも神ご自身の“声”を聞くことができる。
ダビデ王を諫めるナタン(サムエル記 下11-12)
第 11 章 ウリヤの妻バト・シェバ
1 春になって、王たちが戦いに出るに及んで、ダビデはヨアブおよび自分と共にいる家来たち、
並びにイスラエルの全軍をつかわした。彼らはアンモンの人々を滅ぼし、ラバを包囲した。しか
しダビデはエルサレムにとどまっていた。
2 さて、ある日の夕暮、ダビデは床から起き出て、王の家の屋上を歩いていたが、屋上から、ひ
とりの女がからだを洗っているのを見た。その女は非常に美しかった。3 ダビデは人をつかわし
てその女のことを探らせたが、ある人は言った、「これはエリアムの娘で、ヘテびとウリヤの妻
バテシバではありませんか」。4 そこでダビデは使者をつかわして、その女を連れてきた。女は
彼の所にきて、彼はその女と寝た。(女は身の汚れを清めていたのである。)こうして女はその
家に帰った。5 女は妊娠したので、人をつかわしてダビデに告げて言った、「わたしは子をはら
みました」。
6 そこでダビデはヨアブに、「ヘテびとウリヤをわたしの所につかわせ」と言ってやったので、
ヨアブはウリヤをダビデの所につかわした。7 ウリヤがダビデの所にきたので、ダビデは、ヨア
ブはどうしているか、民はどうしているか、戦いはうまくいっているかとたずねた。8 そしてダ
ビデはウリヤに言った、「あなたの家に行って、足を洗いなさい」。
ウリヤは王の家を出ていったが、王の贈り物が彼の後に従った。9 しかしウリヤは王の家の入
口で主君の家来たちと共に寝て、自分の家に帰らなかった。10 人々がダビデに、「ウリヤは自分
の家に帰りませんでした」と告げたので、ダビデはウリヤに言った、「旅から帰ってきたのでは
ないか。どうして家に帰らなかったのか」。11 ウリヤはダビデに言った、「神の箱も、イスラエ
ルも、ユダも、小屋の中に住み、わたしの主人ヨアブと、わが主君の家来たちが野のおもてに陣
を取っているのに、わたしはどうして家に帰って食い飲みし、妻と寝ることができましょう。あ
なたは生きておられます。あなたの魂は生きています。わたしはこの事をいたしません」。12 ダ
ビデはウリヤに言った、「きょうも、ここにとどまりなさい。わたしはあす、あなたを去らせま
しょう」。そこでウリヤはその日と次の日エルサレムにとどまった。13 ダビデは彼を招いて自分
の前で食い飲みさせ、彼を酔わせた。夕暮になって彼は出ていって、その床に、主君の家来たち
と共に寝た。そして自分の家には下って行かなかった。
14 朝になってダビデはヨアブにあてた手紙を書き、ウリヤの手に託してそれを送った。15 彼
はその手紙に、「あなたがたはウリヤを激しい戦いの最前線に出し、彼の後から退いて、彼を討
死させよ」と書いた。16 ヨアブは町を囲んでいたので、勇士たちがいると知っていた場所にウリ
ヤを置いた。17 町の人々が出てきてヨアブと戦ったので、民のうち、ダビデの家来たちにも、倒
れるものがあり、ヘテびとウリヤも死んだ。
18 ヨアブは人をつかわして戦いのことをつぶさにダビデに告げた。19 ヨアブはその使者に命じて
言った、「あなたが戦いのことをつぶさに王に語り終ったとき、20 もし王が怒りを起して、『あ
なたがたはなぜ戦おうとしてそんなに町に近づいたのか。彼らが城壁の上から射るのを知らなか
ったのか。21 エルベセテの子アビメレクを撃ったのはだれか。ひとりの女が城壁の上から石うす
の上石を投げて彼をテベツで殺したのではなかったか。あなたがたはなぜそんなに城壁に近づい
たのか』と言われたならば、その時あなたは、『あなたのしもべ、ヘテびとウリヤもまた死にま
した』と言いなさい」。 22 こうして使者は行き、ダビデのもとにきて、ヨアブが言いつかわし
たことをことごとく告げた。23 使者はダビデに言った、「敵はわれわれよりも有利な位置を占め、
出てきてわれわれを野で攻めましたが、われわれは町の入口まで彼らを追い返しました。24 その
時、射手どもは城壁からあなたの家来たちを射ましたので、王の家来のある者は死に、また、あ
なたの家来ヘテびとウリヤも死にました」。25 ダビデは使者に言った、「あなたはヨアブにこう
言いなさい、『この事で心配することはない。つるぎはこれをも彼をも同じく滅ぼすからである。
強く町を攻めて戦い、それを攻め落しなさい』と。そしてヨアブを励ましなさい」。
26 ウリヤの妻は夫ウリヤが死んだことを聞いて、夫のために悲しんだ。27 その喪が過ぎた時、
ダビデは人をつかわして彼女を自分の家に召し入れた。彼女は彼の妻となって男の子を産んだ。
しかしダビデがしたこの事は主を怒らせた。
第 12 章ナタンの失跡
1 主はナタンをダビデにつかわされたので、彼はダビデの所にきて言った、「ある町にふたりの
人があって、ひとりは富み、ひとりは貧しかった。2 富んでいる人は非常に多くの羊と牛を持っ
ていたが、3 貧しい人は自分が買った一頭の小さい雌の小羊のほかは何も持っていなかった。彼
がそれを育てたので、その小羊は彼および彼の子供たちと共に成長し、彼の食物を食べ、彼のわ
んから飲み、彼のふところで寝て、彼にとっては娘のようであった。
4 時に、ひとりの旅びとが、その富んでいる人のもとにきたが、自分の羊または牛のうちから一
頭を取って、自分の所にきた旅びとのために調理することを惜しみ、その貧しい人の小羊を取っ
て、これを自分の所にきた人のために調理した」。
5 ダビデはその人の事をひじょうに怒ってナタンに言った、「主は生きておられる。この事をし
たその人は死ぬべきである。6 かつその人はこの事をしたため、またあわれまなかったため、そ
の小羊を四倍にして償わなければならない」。7 ナタンはダビデに言った、「あなたがその人で
す。イスラエルの神、主はこう仰せられる、『わたしはあなたに油を注いでイスラエルの王とし、
あなたをサウルの手から救いだし、8 あなたに主人の家を与え、主人の妻たちをあなたのふとこ
ろに与え、またイスラエルとユダの家をあなたに与えた。もし少なかったならば、わたしはもっ
と多くのものをあなたに増し加えたであろう。9 どうしてあなたは主の言葉を軽んじ、その目の
前に悪事をおこなったのですか。あなたはつるぎをもってヘテびとウリヤを殺し、その妻をとっ
て自分の妻とした。すなわちアンモンの人々のつるぎをもって彼を殺した。10 あなたがわたしを
軽んじてヘテびとウリヤの妻をとり、自分の妻としたので、つるぎはいつまでもあなたの家を離
れないであろう』。11 主はこう仰せられる、『見よ、わたしはあなたの家からあなたの上に災を
起すであろう。わたしはあなたの目の前であなたの妻たちを取って、隣びとに与えるであろう。
その人はこの太陽の前で妻たちと一緒に寝るであろう。12 あなたはひそかにそれをしたが、わた
しは全イスラエルの前と、太陽の前にこの事をするのである』」。
13 ダビデはナタンに言った、「わたしは主に罪をおかしました」。ナタンはダビデに言った、
「主もまたあなたの罪を除かれました。あなたは死ぬことはないでしょう。14 しかしあなたはこ
の行いによって大いに主を侮ったので、あなたに生れる子供はかならず死ぬでしょう」。15 こう
してナタンは家に帰った。
さて主は、ウリヤの妻がダビデに産んだ子を撃たれたので、病気になった。16 ダビデはその子
のために神に嘆願した。すなわちダビデは断食して、へやにはいり終夜地に伏した。17 ダビデの
家の長老たちは、彼のかたわらに立って彼を地から起そうとしたが、彼は起きようとはせず、また
彼らと一緒に食事をしなかった。
18 七日目にその子は死んだ。ダビデの家来たちはその子が死んだことをダビデに告げるのを恐れ
た。それは彼らが、「見よ、子のなお生きている間に、われわれが彼に語ったのに彼はその言葉を
聞きいれなかった。どうして彼にその子の死んだことを告げることができようか。彼は自らを害す
るかも知れない」と思ったからである。19 しかしダビデは、家来たちが互にささやき合うのを見
て、その子の死んだのを悟り、家来たちに言った、「子は死んだのか」。彼らは言った、「死なれ
ました」。20 そこで、ダビデは地から起き上がり、身を洗い、油をぬり、その着物を替えて、主
の家にはいって拝した。そののち自分の家に行き、求めて自分のために食物を備えさせて食べた。
21 家来たちは彼に言った、「あなたのなさったこの事はなんでしょうか。あなたは子の生きてい
る間はその子のために断食して泣かれました。しかし子が死ぬと、あなたは起きて食事をなさいま
した」。
22 ダビデは言った、「子の生きている間に、わたしが断食して泣いたのは、『主がわたしをあわ
れんで、この子を生かしてくださるかも知れない』と思ったからです。23 しかし今は死んだので、
わたしはどうして断食しなければならないでしょうか。わたしは再び彼をかえらせることができま
すか。わたしは彼の所に行くでしょうが、彼はわたしの所に帰ってこないでしょう」。24 ダビデ
は妻バテシバを慰め、彼女の所にはいって、彼女と共に寝たので、彼女は男の子を産んだ。ダビデ
はその名をソロモンと名づけた。主はこれを愛された。25 そして預言者ナタンをつかわし、命じ
てその名をエデデアと呼ばせられた。
https://www.wordproject.org/bibles/jp/10/12.htm#0
3.信仰の人、勇気ある人
預言者たちは最終的に自分の才能や話術を当てにすることなく、自分の中の神の力を信じて使命
を果たした。彼らは神の声となって人々の不正を堂々と指摘した(アモス5・12-14)。
そういう預言者たちは国と社会が経済的な豊かさに酔って、道徳的に堕落している人々を痛烈に批
判した。
このような、“過ちを正せ”という、預言者の訴えは、政治や宗教を動かしている権力者に対して特
に激しかった。それは預言者が、つねに権力者から虐げられた人々の側に身をおいたので当然であ
った。
しかし、結果として預言者はきらわれ(エレミア11・19)、彼らのうち大勢が悲惨な最期をとげ
た(列王記上18・3-4)。イエスも預言者の運命に出会った(ルカ13・34)。
“神の僕たちは罪を犯した人々に命を与えることによってその人々を救った”(イザヤ53・3-5,11b-
12、52・13) と書いたイザヤは、このような悲惨な運命は無意味ではないと説明した。
預言者の言葉は私たちの時代から見れば、はるか遠い昔のものである。ところが不思議なことに、
政治の腐敗や社会道徳の低下、堕落などの状況は、昔も今も変わらないではないか。その意味で預
言者たちの訴えは、時と場を越える世界的・普遍的なものであると言えよう。
4.ダビデ王と預言者ナタン(サムエル記 下11-12)
ダビデ、罪を犯す(下11・2-27)
ダビデ(1010-970年B.C.)は優れた王であった。ペリシテ人やカナン人に打ち勝ちイスラエルを
統一した国家にし、エルサレムを立派な都として建設した。
その反面、彼には大きな弱さもあった。ダビデは、ウリアという軍人が戦場にいた時にその妻バト
・シェバと“床を共にした”後(下11・4)、ひそかに主人ウリヤの死を企んだ。ウリアはダビデの作
戦によって死んだが、これに気づいた人がいた。
ナタン、たとえ話を使ってダビデを訴える(下12・1-7a)
ナタンはダビデが自分の罪を認めるように、直接にではなく、彼の罪を例えを通して指摘したの
である。
ナタンによるたとえ話がないと、自分の行為が無慈悲なものだと気づかなかったというのは、私
の感覚からすると考えられない事です。しかし、私も、日常生活の中でこれほど極端でなくとも
同じような事をしているかもしれないと思います。結局の所、私達は自分達の行動を完全に客観
的に見る事はできないからです。 ('97年)
例え話の力
たとえ話を聞いた人はまずその話の主人公の行動を客観的に判断する。そして、その人物が自
分自身だと気付き反省できる。たとえ話は人を真実に導く強い道具である。イエスもこの伝
統的な方法を盛んに自分の反対者のために使った。
ダビデ、悔い改める(詩編51)
「私はあなたの御目に悪い事をしました。」
私は今まで、友達に何か悪いことをしてしまった時、私が心から反省しあやまった相手は友
達ただ1人でした。今日、ここでダビデの賛美歌を読むまでは...。本当は、罪を犯してしまっ
た時、その相手の他にもあやまって罪をつぐなわなければならない神がいました。それを知ら
ず自分がなんておろかな者だったか、ガツンと思い知らされました。('95年)
「私を洗って下さい。雪よりも白くなるように」
どんなにその“罪"が重くても、神は許されないということはないのです。けれど、そのため
には自分の罪を認め、心を裸にすることが大切なのだと思います。('96年)
彼は確かにすばらしい成績を残し、すぐれた王だった。が、同時に、重い罪を犯す王でもあった。
聖書は人間の弱さを隠さずにすべての面を記している。
5.現代の預言者の一人、
a.M.L.キング牧師(1929-1968)
現在、数知れない人々が人権侵害や自然破壊が減るために力強く運動している。特に一党独裁制
の国では、彼らの戦いは命がけである。
アメリカ合衆国では、キング牧師は黒人の市民権が取り戻されるように平和な手段を使っていろい
ろな運動に励んだ。いつもデモ行進の先頭に立っていた彼は1968年4月4日に39才の若さで
暗殺された。キング牧師の最後の演説は彼の勇気と献身を語る。
Well, I don't know what will happen now.
We got some difficulties ahead.
But it really doesn't matter with me now,
because I've been to the mountain top.
先の事は分かりません。前途は多難です。
しかしかまいません。私は既に山頂に登りました。(申命記34・1-5参照)
Like anybody, I would like to live a long life.
Longevity has its place. But I'm not concerned about that now.
All I want is to do God's will.
And He has allowed me to go up to the mountain.
長生きができるに越したことはありませんが、もうどうでもいいことです。
私は神の御意志に従い山頂に登りました。
I looked over and I have seen the Promised Land.
約束の地をこの目で見ました。(創世記12・7、p.15 参照)
I may not get there with you. But I want you to know the night
that we, as a people, will get to the Promised Land.
私がそこにたどりつけなくても、我々の仲間は必ず行けるはずです!
So, I am happy tonight.
I am not weary about anything. I'm not fearing any man.
My eyes have seen the glory of the coming of the Lord.
だから今夜は幸せです。何も心配せず、誰も恐れていません。
私(の目)は主の降臨の栄光を見たのです。
b.魏氏の友人、劉 青氏の運動と思想
中国で民主主義を進めた魏氏が15年の刑を宣告された時、劉氏はその判決記録を出版して19
79年自らも逮捕された。刑期中、拷問や脅迫について書いた手記をひそかに外部に送り、公表し
たことから追加刑を受け、計11年獄中生活を送った。唇には切り傷が2カ所残る。何度も「政
府を批判した罪を認めろ」と強要され、拒否したので殴られた。
その後流罪に処され、劉氏は1992年からニューヨークで人権擁護組織「中国人権」のまとめ
役を務めている。
「私は、中国には人権と民主がどうしても必要だとの信念を持っていました。しかし、私を
支えた最大のものは信念ではありませんで した。私はたとえ口先だけでも牢獄当局の迫害に
負けて誤りだと認めてしまえばこれから先、絶対に自分を許すことができないだろうと分かっ
ていました。 これは私にとって死よりも恐ろしいことでした。」
劉 青
人権
誰かが投獄されていると、この人が必ず犯罪を起こしたと私たちは思い込み勝ちであるが、実は現
在、いろいろな国で大勢の無実の人が裁判もなく拘禁されたり、拷問に掛けられたりしている。そ
の理由は、彼らが暴力を使ったり、勧めたりしたからではなく、政府が認めない意見を述べたり、
政府の気にいらない組織、あるいは少数の宗教団体に加入していることだけである。
実際、暴力への呼びかけではない限り、だれにでも自分の意見や信念を口頭で、あるいは書物で
述べる自由がある。この権利は国際的に認められている。
すべて人は、思想、良心および宗教の自由についての権利を有する。この権利は、宗教または信
念を変更する自由、ならびに、単独でまたは他の者と共用して、および公的にまたは私的に、布
教、行事、礼拝および儀式によって宗教または信念を表明する自由を含む。
(世界人権宣言、第18条)
すべて人は、意見および表現の自由についての権利を有する。この権利は、干渉を受けることな
く自己の意見をもつ自由、ならびに、あらゆる手段により、また、国境にかかわりなく、情報お
よび思想を求め、受け、かつ伝える自由を含む。
(世界人権宣言、第19条)
弱い政府の場合などは、軍部や自警団は農民指導者、労働組合員を投獄したり、殺害したりして
いる。しかし、特に独裁権力を振るう政府や国教を持つ国はこの人権宣言に明らかに反している。
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